見た目や振る舞いだけで、誰かに小さな判決を下してしまったことはないでしょうか?
理由は説明できなくても、なぜかその人が視界に入るだけで苛立つ、という経験が。多くの場合、その判決は誰にも気づかれないまま、自分の中だけで確定して終わります。ある冬の夕暮れ、二等客車に乗り合わせた一人の男が、みすぼらしい身なりの少女に、まさにそうした苛立ちを募らせていきます。けれど、たった一つの光景を目にした瞬間、その苛立ちは跡形もなく崩れ去るのです。
この作品を、いま読む理由
電車の座席で、居合わせた誰かの身なりや振る舞いに、ふと小さな苛立ちを覚えたことは誰にでもあるでしょう。その苛立ちの根には、たいてい理由らしい理由はありません。ただ「自分の当たり前」に合わない、というだけのことです。芥川龍之介の「蜜柑」は、そうした無意識の値踏みと、それが崩れ去る一瞬とを描いた短編です。
二等客車に乗り合わせた語り手「私」は、みすぼらしい身なりの小娘に不快感を抱き、彼女が窓を開けようとする場面でその苛立ちは頂点に達します。ところが踏切に差しかかったところで、小娘が窓から蜜柑を投げる光景を目にした瞬間、「私」のまなざしはまるで別人を見るように反転するのです。
本稿では、この短編をまなざしの逆転の物語として読みます。語り手が最初に下す無意識の階級的な裁き――二等と三等という制度の線引きと、身なり・振る舞いに対する内面の線引き――が、たった一つの出来事によってどう崩れ去るのか。その崩壊の構造を原文に即して追いながら、百年前のこの偏見が、今の私たちの中にどれほど形を変えずに残っているかも併せて考えます。
作品の輪郭
いつ、誰が書いたか
「蜜柑」は芥川龍之介が、「新潮」1919(大正8)年5月号に発表した短編小説です。芥川はこの年27歳、すでに「羅生門」「鼻」「地獄変」などで文壇に地歩を築いていました。自然主義の作家たちが私小説的な赤裸々さを競っていたのに対し、芥川は虚構の技巧によって人間心理の陰影を切り取る作家として知られています。「蜜柑」もまた、汽車での一場面を周到な構成の心理劇に仕立て上げた作品です。
どんな話か(結末に触れずに)
物語は、横須賀発上りの二等客車に乗り込んだ語り手「私」の、云いようのない疲労と倦怠から始まります。発車の直前、十三、四の小娘が慌ただしく乗り込んできます。油気のない髪、皸だらけの頬、垢じみた襟巻――その身なりのすべてが、語り手の神経に障ります。彼女が握っているのは三等の赤切符。二等車には不釣り合いなその姿に、語り手は言いようのない不快感を募らせていきます。汽車が隧道にさしかかると、小娘は重い硝子戸を開けようと悪戦苦闘を始め、語り手の苛立ちはさらに募っていく――そこから先に何が起こるのかは、次章で見ていきます。
語りの構造
この作品が一人称の回想体で語られている点も見過ごせません。「私」は物語のあいだじゅう起きていることを逐一報告するだけではありません。末尾では「この時始めて……人生を僅に忘れる事が出来たのである」と、すでに出来事が過ぎ去った時点から振り返るようにして締めくくります。つまり読者が読んでいるのは、渦中の心の動きそのものというより、後になってその渦中の自分を見つめ直した「私」の証言です。
だからこそ語り手は、自分がいかに小娘へ不当な苛立ちを募らせていたかを、包み隠さず書き記すことができたのでしょう。もし本作が三人称で書かれていたなら、語り手の偏見はもっと客観的な観察として提示され、読者が自分自身の判断とじかに重ね合わせる余地は薄れていたはずです。一人称という形式そのものが、読者を語り手の内側に引きずり込み、その偏見に一度は付き合わされる構造をつくっているのです。
論点1:二等と三等——最初に下した「階級の裁き」
読者としてまず引っかかるのは、語り手の不快感の順序です。小娘が乗り込んできた瞬間、語り手の意識に最初に浮かぶのは、彼女がどの階級の客であるかではありません。まず来るのは、髪型や頬の荒れ、垢じみた襟巻といった、身なりそのものへの生理的な嫌悪です。三等の赤切符という「証拠」は、その嫌悪をあとから正当化するために持ち出されているにすぎない、と読むことができます。
それは油気のない髪をひっつめの銀杏返しに結って、横なでの痕のある皸だらけの両頬を気持の悪い程赤く火照らせた、如何にも田舎者らしい娘だった。(中略)その又包みを抱いた霜焼けの手の中には、三等の赤切符が大事そうにしっかり握られていた。
この描写の直後、語り手の判断は畳みかけるように三段になって現れます。
私はこの小娘の下品な顔だちを好まなかった。それから彼女の服装が不潔なのもやはり不快だった。最後にその二等と三等との区別さえも弁えない愚鈍な心が腹立たしかった。
「下品な顔だち」「不潔な服装」ときて、最後に「二等と三等との区別さえも弁えない愚鈍な心」という判断が置かれている構成に注目したいところです。制度上の階級区分は、この三段のいちばん最後、いわば結論として登場します。切符の等級という客観的な事実は、語り手にとってむしろ、すでに感じてしまった不快感を裏づけ、輪郭を与えるための道具として機能しているのです。言い換えれば、「なぜこの娘が自分と同じ車両にいるのか」という語り手の苛立ちは、階級制度そのものへの違和感というより、別のものに近いはずです。自分の車両という秩序だった空間に、見慣れない異物が紛れ込んだことへの反応、というべきでしょう。
普段目にしない身振りや、場にそぐわない振る舞いをする人に、理由の説明できない不快感を覚えるのは、程度の差こそあれ誰もが経験することです。それは、自分がこれまで当たり前だと思ってきた秩序を、何の断りもなく揺さぶられることへの防御的な反応でもあります。語り手はこの防御反応を、「二等と三等の区別も弁えない愚鈍さ」という、いかにも理性的な言葉に置き換えることで、自分の中の単なる不快感を、正当な判断であるかのように仕立てているのです。
この心の動きは、芥川がしばしば描いた人間のエゴイズムの構造と重なります。「羅生門」の下人は、老婆の行為を糾弾する自分の正義感の裏に、利己心が潜んでいることに無自覚でした。「蜜柑」の語り手もまた、自らの嫌悪感を階級という制度の言葉で語り直すことで、その嫌悪の身勝手さから目をそらしています。二等と三等という線引きは、鉄道会社が定めた制度であると同時に、語り手が自分の不快感を正当化するために借りてきた、もう一つの「制度」でもあるのです。
さらに踏み込むなら、「愚鈍な心」という評言そのものが、語り手の知的な優越感を暗に示してもいます。相手を「愚鈍」と評するとき、評する側は自分自身を「聡明」の位置に置いています。小娘の側から見れば、二等と三等の区別を弁えていないのではなく、単に三等の切符しか持っていない、というだけの事実に過ぎません。それを「弁えない愚鈍さ」と読み替えてしまう語り手のことばづかいにこそ、この短編が静かに告発している階級意識の根深さが表れているのでしょう。
論点2:窓を開けようとする手——理解できない他者への苛立ち
小娘の行動のうち、語り手をもっとも苛立たせるのは、汽車が隧道にさしかかろうとするまさにその瞬間、わざわざ閉まっている窓を開けようとする振る舞いです。読者としてまず気になるのは、この場面で語り手の苛立ちが、単なる不快感を超えて、ほとんど生理的な反発にまで高まっている点でしょう。
にも関らずこの小娘は、わざわざしめてある窓の戸を下そうとする、――その理由が私には呑みこめなかった。いや、それが私には、単にこの小娘の気まぐれだとしか考えられなかった。
理解できない行動を「気まぐれ」という言葉でしか説明できない語り手の姿には、他者の行為をその文脈ごと理解しようとする構えの欠如が表れています。人は、自分がこれまで出会ってきた日常のパターンに照らして他者の行動を解釈するものです。そのパターンに当てはまらない、非日常的な振る舞いに対しては、理由を探る前に、体がまず拒絶反応を示してしまう。これは百年前も今も変わらない、いわば人間の生存本能に近いものでしょう。見知らぬものへの警戒は、群れの中で身を守るための本能の名残なのかもしれません。
その拒絶は、次の一文で決定的な冷たさを帯びます。
だから私は腹の底に依然として険しい感情を蓄えながら、あの霜焼けの手が硝子戸を擡げようとして悪戦苦闘する容子を、まるでそれが永久に成功しない事でも祈るような冷酷な眼で眺めていた。
「永久に成功しない事でも祈るような」という表現は尋常ではありません。単に迷惑だと感じているだけでなく、相手の努力そのものが失敗することを望むという、悪意に近い感情がここにはあります。理解できない他者への苛立ちは、時にここまで先鋭化しうるのだという事実を、芥川は容赦なく書き留めています。
そして、この苛立ちは物理的な被害によっていよいよ頂点に達します。
元来咽喉を害していた私は、手巾を顔に当てる暇さえなく、この煙を満面に浴びせられたおかげで、殆息もつけない程咳きこまなければならなかった。
小娘の行動が「理解できない」だけでなく、実際に自分の身体を害するものとして立ち現れた瞬間です。喉を痛めている語り手にとって、煤煙を満面に浴びせられる経験は単なる不快を超えた実害であり、ここで語り手の苛立ちは、これ以上ないほどの正当性を得たかに見えます。読者もこの場面まで読み進めれば、語り手に同調しかけてしまうかもしれません。芥川はその苛立ちを読者にも一度共有させたうえで、次の場面でまるごと裏返してみせるのです。
さらに言えば、語り手は実際に一歩踏み出す寸前だったことも見逃せません。
もう窓の外が見る見る明くなって、そこから土の匂や枯草の匂や水の匂が冷かに流れこんで来なかったなら、漸咳きやんだ私は、この見知らない小娘を頭ごなしに叱りつけてでも、又元の通り窓の戸をしめさせたのに相違なかったのである。
「叱りつけてでも」という強い言葉が示すとおり、語り手を押しとどめたのは、小娘への理解でも寛容さでもなく、ただ土や枯草の匂いという偶然の外的条件にすぎませんでした。もし匂いが一瞬遅れて届いていたら、この物語はまったく違う結末を迎えていたかもしれません。理解も反省もないまま、苛立ちが行動に転じる一歩手前まで、語り手は追い詰められていたのです。
隧道という舞台装置にも、注意を払う価値があります。
物語の冒頭、語り手が抱えている「云いようのない疲労と倦怠」は、「雪曇りの空のようなどんよりした影」という言葉で語られています。汽車が最初の隧道にはいる場面では、「隧道へはいった一瞬間、汽車の走っている方向が逆になったような錯覚」を覚えたとも記されています。閉塞感と方向感覚の喪失は、作品全体を覆う暗いトーンと響き合っています。二度目の隧道――小娘が窓を開けようとする場面――で煙に包まれる体験は、この閉塞感が物理的な息苦しさとして語り手を襲う瞬間でもあります。暗闇の中で理解できない他者に苛立ち、息もできないほど咳き込む。視界も呼吸も奪われるこの状態こそが、直後に訪れる光と理解の場面を、いっそう鮮烈なものにする伏線として機能しているのです。
理解できないものを、理由を探る前に拒絶してしまう心の動きは、決して大正期の語り手だけのものではありません。見知らぬ誰かの振る舞いに反射的な不快感を覚えるとき、私たちもまた、この語り手とそう遠くない場所に立っています。次章で見るように、この隧道の中の苛立ちこそが、後に訪れる反転をいっそう鮮やかなものにしているのです。
論点3:降ってきた蜜柑——一瞬で反転するまなざし
苛立ちが頂点に達した直後、物語は一気に反転します。隧道を抜けた汽車が、貧しい町はずれの踏切にさしかかったとき、柵の向こうに三人の男の子が並んで立っているのが見えます。
窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。私は思わず息を呑んだ。そうして刹那に一切を了解した。
そのままの流れで、語り手は目の前の光景の意味を悟ります。
小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴こうとしている小娘は、その懐に蔵していた幾顆の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。
語り手の心情が瞬時に反転するのは、蜜柑という行為そのものの美しさに感動したというより、少女の行動の「意味」が一挙に理解できたからです。奉公に出る境遇、見送りに来た弟たち、その労に報いる蜜柑――ばらばらだった断片が一つの物語として像を結んだ瞬間、語り手は「刹那に一切を了解した」と書きます。理解できないものへの苛立ちが、理解できた瞬間に消え去るという構図は、論点2で見た拒絶反応とちょうど鏡合わせの関係にあります。
私は昂然と頭を挙げて、まるで別人を見るようにあの小娘を注視した。
ただし、この反転を単純な感動の物語として読むには、留保が必要でしょう。語り手がここで心を動かされたのは、目の前の出来事が、彼が先ほど汽車の中で読んでいた夕刊の記事――「講和問題、新婦新郎、涜職事件、死亡広告」――と同じ種類のものだったからかもしれません。他人事としての人情話を、生で目撃できたという興奮に近いのではないか、という読み方もできます。語り手はこの光景に感動する立場にはいても、その渦中に身を置く立場にはいません。蜜柑を投げるのは小娘であり、見送られるのは弟たちであり、語り手はあくまで二等車の窓の内側から、安全な距離を保ったまま、他人の労苦の結晶を美しいものとして眺めているにすぎないのです。二等の切符を持つ者だからこそ持ちうる余裕のあるまなざし、と言い換えてもよいかもしれません。
もし語り手自身が三等の切符を握る側にいたなら、この光景はことさら心を動かされるべき特別な出来事ではなく、見慣れた日常の一場面に過ぎなかったはずです。住む環境が違えば、同じ光景も違う意味を帯びる――語り手の理解もまた、部分的なものでしかないのでしょう。
物語の最後、語り手は次のように述懐します。
私はこの時始めて、云いようのない疲労と倦怠とを、そうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。
冒頭で語られた「云いようのない疲労と倦怠」が、ここでほぼ同じ言葉で回収される構成に注目したいところです。この円環構造は、語り手の心情が確かに救われたことを示しています。ただし、その救いが自分自身の外側に起きた出来事――しかも、決して自分の身には起こりえない他者の労苦――によってもたらされた点で、いくぶん皮肉な読後感も残します。語り手は変わったのか、それとも一瞬だけ心地よい物語を消費して、また元の倦怠に戻っていくのか。芥川はその答えを明示せず、読者に委ねたまま筆を置いています。
この短編が「蜜柑」と題されていることにも、あらためて目を向けたくなります。物語の主役は、視点人物である「私」でも、行動の主体である小娘でもなく、あの一瞬空を舞った蜜柑の色そのものなのかもしれません。原文は蜜柑を「暖な日の色に染まっている」と形容しています。
煤煙にまみれた隧道の暗闇、うす暗いプラットフォオム、暮色を帯びた町はずれ――作品全体を覆う陰鬱な色調のなかで、この一節だけが唯一、暖かい色を帯びています。芥川は、語り手の心情の変化を言葉で説明する前に、まずこの色彩の対比によって読者の感覚に訴えかけているのでしょう。タイトルが暗示しているのは、階級でも人情でもなく、一瞬だけ差し込んだその色そのものが、この物語の主題であるという読み方です。
時代を背負う言葉
「蜜柑」は「新潮」1919(大正8)年5月号に発表されました。物語の舞台となっている横須賀線は、東京と横須賀の軍港とを結ぶ路線として明治期に開通し、大正期には通勤・行楽の足としても定着していました。当時の日本の鉄道には、今日のような単一クラスの車両ではなく、一等・二等・三等という等級制の客車が存在し、運賃も設備も等級ごとに大きく異なっていました。二等車と三等車という区分は、単なる料金プランの違いにとどまらず、乗客の社会的な階層をそのまま可視化する装置として機能していたと考えられます。「私」が小娘の存在に違和感を覚えたのは、こうした制度があらかじめ用意していた「二等車にふさわしい乗客」という暗黙の基準に、彼女が当てはまらなかったからでもあるでしょう。
大正期は、明治以来の近代化が一定の完成を見た一方で、都市と農村、あるいは階層のあいだの格差が、それまで以上に人々の目に見える形で現れ始めた時代でもありました。地方から都市部への出稼ぎや奉公は、当時の社会でごく普通に見られる光景でした。小娘が「恐らくはこれから奉公先へ赴こうとしている」と語り手が推し量る場面は、そうした時代の空気を映し出す、さりげないが確かな一筆と言えます。
芥川龍之介自身は、東京帝国大学英文科を卒業した知識人であり、「私」とおそらくそう遠くない位置――二等車に乗る側――に生きた作家でした。だからこそ「蜜柑」は、単に小娘の健気さを称える物語ではなく、二等車の窓の内側にいる者のまなざしそのものを、静かに、しかし容赦なく解剖する作品になり得たのだと思います。
同時代の文壇にはもう一つ、見過ごせない潮流がありました。武者小路実篤や志賀直哉ら白樺派の作家たちは、人道主義の立場から人間の善性や共感を重んじる作品を数多く発表していました。「蜜柑」もまた、卑俗な現実に倦んだ知識人が、名もない人々の中に人間的な美しさを見出すという筋立てにおいて、こうした人道主義的な感受性と地続きの部分を持っていると読むことができます。
ただし芥川は、理想をまっすぐに肯定するのではなく、その理想的な感動がどのような立場から発せられているのかまで、冷静に見つめる視線を失いませんでした。「蜜柑」が単なる人情物語に終わらないのは、この一歩引いた自己省察の視線のためでしょう。
日常の中の二等と三等
満員電車で足を組んで座る人、レジで手間取る高齢者、聞き取りにくい訛りで話す誰か――そうした場面で、自分の中に一瞬だけ湧き上がる小さな苛立ちに、身に覚えのない人は少ないでしょう。その苛立ちの多くは、相手の事情を知らないまま、見た目や振る舞いだけを手がかりにして下された、いわば即席の判決です。芥川が「私」に下させた「愚鈍な心」という裁きと、私たちが日々くだしているこの種の判断は、実のところそう遠くはありません。
厄介なのは、その裁きがたいてい当人の中だけで完結してしまう点です。「蜜柑」の語り手は、たまたま踏切での場面に居合わせたことで、小娘の事情を知り、自分の判断が誤っていたことに気づく機会を得ました。しかし現実の私たちは、種明かしの場面に立ち会うことなく、苛立ちを苛立ちのまま抱えて電車を降りていくことのほうが多いはずです。判断を覆す機会が訪れなかったというだけで、その判断が正しかったことにはならないでしょう。
誰かの振る舞いに理由のわからない苛立ちを覚えたとき、その人にも自分の知らない蜜柑があるのかもしれない、と考えてみる。それは相手を許すためというより、自分がくだした裁きの根拠の薄さを、一度は疑ってみるための構えです。「私」が窓の外に見たのは、小娘の事情である以上に、自分自身の値踏みの浅さそのものだったのでしょう。
もっとも、この構えを持ち続けるのは簡単ではありません。忙しない毎日のなかで、目の前を通り過ぎるすべての人の事情に思いを巡らせる余裕など、誰にもそうそうありはしないからです。だからこそ「蜜柑」が示しているのは、いつでも寛容であれという理想論ではなく、自分が下した判断もまた、いつか裏切られるかもしれないという程度の、慎み深さなのだと思います。
新古典として、今
「蜜柑」が発表されてから百年以上が過ぎましたが、そこに描かれた心の動きは古びていません。理解できないものを拒絶し、理解できた瞬間だけ心を開く。その往復運動は、情報が瞬時に行き交う現代においても、形を変えて繰り返されています。むしろ、見知らぬ他者の姿を一瞬で判断してしまう機会は、当時よりも格段に増えているとさえ言えるでしょう。
芥川はこの短編で、語り手の偏見を断罪することも、その反転を手放しに賛美することもしませんでした。ただ、隧道の暗闇から踏切の光へと移り変わる数分間に起きた心の揺れを、丹念に描き切っただけです。断定を避けたその筆致こそが、「蜜柑」を単なる美談にも、単なる階級批判にも回収されない、息の長い作品にしているのだと思います。
情報環境がここまで発達した今、私たちは芥川の語り手よりもずっと多くの他人の断片的な情報に、日々さらされています。プロフィール欄の数行、投稿の一部分、すれ違う一瞬の様子――そこから下す判断の材料は、むしろ語り手が汽車の中で得ていたものより少ないことすらあります。だからこそ、「刹那に一切を了解した」という語り手の経験は、今の私たちにとってむしろ希少なものに見えるのかもしれません。誰かの事情を、蜜柑が降ってくるように理解できる機会は、そう頻繁には訪れないのです。
二等と三等という制度は、今の私たちの暮らしにそのままの形では残っていません。しかし、誰かを見た目や振る舞いだけで値踏みしてしまう心の癖は、切符の等級よりもずっとしぶとく、私たちの内側に住み続けています。「蜜柑」を読み返すたびに問われているのは、芥川の時代の話ではなく、今この瞬間、自分が誰かに下しているかもしれない、名もなき裁きのことなのでしょう。
本文の引用は、青空文庫版『蜜柑』(底本:『蜘蛛の糸・杜子春』新潮文庫、新潮社)に拠りました。
『蜜柑』は青空文庫で全文を無料で読むことができます。ぜひ原文にあたってみてください。